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いろいろ書いてみるものの、
送信するほどでもないかと消してしまう。

これを繰り返しております。

ネガティブではない、ポジティブか?といわれると微妙。
C'est la vieなお話って、どうなんだろうなー、とか。

文字にして納得して、外に出す必要もないかと消す。
物質的には無駄なことのようだけれど、前半が大事。

だから、それなりに「この更新されないブログ」の存在も
意味があるのです!と言い切ってみます。
昨日荷造りのためにスーツケースを開いてガサゴソしていたら、
なくしたと思っていたデジカメの充電池が出てきた。
前回の海外旅行は昨年12月で、10ヶ月ばかりここにいたことになる!
12月以降必死で探し、スーツケースも散々探した予定なのだが、
どこに目がついていたのか?という判りやすい場所にあった。
ま、そんなもんかもしれない。

しかも驚いたことに、そのデジカメのサブ充電池を、
中国製充電器と共に買ったけど、充電器は充電できず(笑)
電池は、元のものとサブのもの、双方満タンなまま10ヶ月が過ぎた。
つまり、使っていないのだ!!

というわけで、少しはちゃんとデジタルで撮影してくる予定です(笑)

今回は、友人宅にお世話になります。
なので、ホテルでは体験できないことを最優先に
短い日程を楽しみたいです。
行きがけのスーツケースがほぼ空っぽで、
小麦粉と小麦粉と小麦粉と発酵バターと
鳩サブレ!が占拠していることは内緒です(笑)

たぶん帰りは…
ワークショップに行って、真面目に考え方の話しちゃった。
真面目な会話は、すればするほど自分が嫌いになる。柔軟性がないな、と。
(できればとんちの効いた)くだらないことを話しているのが一番いい。

論理的思考は、研究的仕事をしている人には絶対的なもので、
自覚なくトレーニングされて植えつけられているものだと思う。
もちろん、論理的思考の到達レベルは
「本人の特性」で限界があるのだけれど、
とりあえず考えようか、といったときにまずこの思考法を取る。
で、仕事なので「ある一定ゾーンに入った到達点」を目指して論議する。
仕事じゃなくても、こういう仕事をしている人とは論法が一緒なので
普段のくだらない話でも実にスムーズにことが進む。

この話を聞いた“自称・典型的文型”の人が
「迷走するから楽しいんじゃん!!」とばっさり。
まったく別の論法で会話が進んでいるんだねぇ。
…仕事じゃなきゃいいけどね…うーん…どうかな…

論理的思考で一定ゾーンのゴールを目指してみんなで話しているときに
「楽しいかも!」と思って一人迷走したら、
「こいつわかっていない」とあっさり切り捨ててしまうと思うw
仕事なら。
仕事じゃなくても、仕事っぽい思考法しているときなら、
「うーむ」と思って話をやめちゃう人も多いと思う。

仕事してた中では「(ちょっとぐらいの)迷走大好き」だったんです(笑)
だからばっちり切り捨てられる側でした(自爆)
みんなカタイな、狭いぞ!と真剣に思ってた。
今、文型的職場に転勤してきてからは
「言葉面ばかり気にしてばっかりで、本質がまったくわからん!」と思うw
なんか実のない会議をだらだらだらだら…(以下省略)…してんだよね。
カタくて、狭いほうが、心の安寧が得られます(笑)
だって、チャートとかで図式化できるんだもん。←図形的思考法の人

ちなみにこの図形的思考が、一番プレゼンしやすいですよ。
得意不得意があるようだ、というのはここに書いてくれてる。
私は文字使うのは苦手で、言語映像と聴覚音は強い。
三次元視覚が一番強かった気がします。
写真に向いてない(笑) ま、ちょっと自覚がある。
いわゆる工芸関係は英才教育だったしね。

この本、超面白かったです(笑)

で、結論はないんですよ。

どれがいいとか悪いじゃないよね。
みんな違うんだね、うん、そうだね。
つい忘れがちだけど、ことあるごとに思い出そうね。
できないからって、仕方がないわけでもないからがんばろうか、
でも、がんばっても能力的限界はあるよね。
得意なところを伸ばしまくるのも、それはそれで手だよ。

という冷めた視点を取り戻しているのでしたとさ。ちゃんちゃん。
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祭が過ぎて、ふと冷静になる雨の休日。
用事を済ませ家に帰ってきた16時過ぎ、
課題かー、なんて思いながら使いはしのカメラを持って出かけた。
ちなみに、前半は感度が違うし、何が映っているかすらわからない。

雨の日の、ほとんど日など射していない夕方に
にこやかに絞りと被写界震度の関係の写真を撮っても無駄なような。
絞った写真は全部手振れだと思う。しかも一眼レフ。
途中からあきらめて、気分良くなるものだけほぼ開放で撮った。

私の目はもう限界を超えてるな、と思う。
老眼とかとは別次元のことで、
こればかりは生まれ持ったものだから仕方がない。
私の目が先か、フィルムが先か。いやな競争が始まったなと思う。
いろんな自分の目、を受け入れられたこの数週間。

過去、なぜあんなにこだわり、自分の首を絞めていたのだろう。
きっとそういう時も必要だったんだろうな。

改めて、もう少しナチュラルに関わっていけそうだ。