ワークショップに行って、真面目に考え方の話しちゃった。
真面目な会話は、すればするほど自分が嫌いになる。柔軟性がないな、と。
(できればとんちの効いた)くだらないことを話しているのが一番いい。
論理的思考は、研究的仕事をしている人には絶対的なもので、
自覚なくトレーニングされて植えつけられているものだと思う。
もちろん、論理的思考の到達レベルは
「本人の特性」で限界があるのだけれど、
とりあえず考えようか、といったときにまずこの思考法を取る。
で、仕事なので「ある一定ゾーンに入った到達点」を目指して論議する。
仕事じゃなくても、こういう仕事をしている人とは論法が一緒なので
普段のくだらない話でも実にスムーズにことが進む。
この話を聞いた“自称・典型的文型”の人が
「迷走するから楽しいんじゃん!!」とばっさり。
まったく別の論法で会話が進んでいるんだねぇ。
…仕事じゃなきゃいいけどね…うーん…どうかな…
論理的思考で一定ゾーンのゴールを目指してみんなで話しているときに
「楽しいかも!」と思って一人迷走したら、
「こいつわかっていない」とあっさり切り捨ててしまうと思うw
仕事なら。
仕事じゃなくても、仕事っぽい思考法しているときなら、
「うーむ」と思って話をやめちゃう人も多いと思う。
仕事してた中では「(ちょっとぐらいの)迷走大好き」だったんです(笑)
だからばっちり切り捨てられる側でした(自爆)
みんなカタイな、狭いぞ!と真剣に思ってた。
今、文型的職場に転勤してきてからは
「言葉面ばかり気にしてばっかりで、本質がまったくわからん!」と思うw
なんか実のない会議をだらだらだらだら…(以下省略)…してんだよね。
カタくて、狭いほうが、心の安寧が得られます(笑)
だって、チャートとかで図式化できるんだもん。←図形的思考法の人
ちなみにこの図形的思考が、一番プレゼンしやすいですよ。
得意不得意があるようだ、というのは
ここに書いてくれてる。
私は文字使うのは苦手で、言語映像と聴覚音は強い。
三次元視覚が一番強かった気がします。
写真に向いてない(笑) ま、ちょっと自覚がある。
いわゆる工芸関係は英才教育だったしね。
この本、超面白かったです(笑)
で、結論はないんですよ。
どれがいいとか悪いじゃないよね。
みんな違うんだね、うん、そうだね。
つい忘れがちだけど、ことあるごとに思い出そうね。
できないからって、仕方がないわけでもないからがんばろうか、
でも、がんばっても能力的限界はあるよね。
得意なところを伸ばしまくるのも、それはそれで手だよ。
という冷めた視点を取り戻しているのでしたとさ。ちゃんちゃん。